おてがみ

誰宛でもなく

緑色の稲妻

※担当についてのあれそれが書かれた文 終始重たいのでアレな人はすぐ戻ってね

 

 

 

なんやかんやと理由をつけてきたけど、思い返すときっとあれは一目惚れだった。緑色の稲妻が心臓にどすっと刺さった。胸のあたりがうずうずして、とにかく「好きだ!」って声に出して文字に書いてそこら中にぶちまけないと吐きそうで気が済まなかった。どうしたって彼の顔に、動きに、なりに目がいった。それがわたしのはじまりだ。彼、神山くん、に対して顔が可愛いなんて最初は全く思わなかったけど(笑)、今やもう顔がかわいいしかっこいい。顔がかわいいだけじゃなくて、ダンスがめっちゃうまくてどストライクだったり歌もめちゃくちゃ上手かったり性格がアツくて重くて、一挙手一投足が愛しかったり。ステージに立って、踊りに歌に想いを乗せて、思う存分ギラギラを発散させていて愛しい。“私の理想のアイドル像”を身体いっぱいに突き進む神山くんが本当に好きだ。

 

神山くんのことは好き。好き、だけど、好きなのに、あのときこうやって沢山溢れ出した気持ちは嘘だったんだろうか、とか、担降りしたら楽になるかなあとか、私にとっての担当とは、だとか、とにかくいろいろ考えてしんどくなる日々がしばらく続いた。

 

わたしに、新たに“担当”となる人が現れたのがきっかけだった。

宮舘くん。Snow Manの宮舘くん。宮舘くんの踊り方が好きだ。ステージに対する考え方も好きだ。愛しさ溢れるスットコドッコイな性格も好き。ロイヤル〜で旦那感あふれるところも好き。

宮舘くんと神山くんは少し似てるなあとたまに思う。顔は似てないしどこどこが似てる!って明確には言えないけど、心的な部分で重なるところが見える。

 

わたしは宮舘くんのことが好きだ。神山くんのことも好きだ。この2人に対する“好き”は、次元が違う。ベクトルも違う。だから交わることは無い。全く違うタイプの好きを抱えて、二人のことを見つめている。つもりだった。

けれどもわたしは、24コンコンプレックス、に陥った。これは誰が悪いわけじゃないしむしろ私が勝手に陥って勝手にしんどくなった話(文字に起こしたら激重メンヘラを超えたので今のところ割愛)なんだけど、やっぱりたくさん連呼された“はじめて”を見届けられなかったことが本当に悔しくてしんどかった。誰一人置いていかないと言っていたひとたちに置いていかれたように思い、疎外感を感じてしまった。WESTから降りよう、もう追いかけられる自信が無い、ってすごく思った。それがあったから、WESTからの逃げ先を、安らぎを探し求めた。結果、わたしは宮舘くんに対して熱くなることを選んだ。掛け持ちが苦手なのもあったから、私は『平等に』好きでいることをやめた。宮舘くん≫神山くん、にしようと思った。

 

不等号は成立した。宮舘くんの比率は大きい。宮舘くんにずぶずぶと夢中になり、神山くんのことは考えないようにしようとおもった。けれどもわたしは、私の中で神山くんをゼロにできなかった。諸々の邪念をとっぱらってみたときに、神山くんのことは純粋に好きだから。

けどやっぱり周りの人からは降りたように見えたらしく(私も降りてないですよ!って明言しなかったのもある)、私自身も降りてないと思いつつ、熱の偏りは嫌というほどわかっていた。神山くんのことはちゃんと好きなのに、偏りが激しくて、なんなら降りたも同然な心持ちだった。矛盾しすぎて意味がわからんだろ?私が一番意味がわからん。だから、頭を冷やして気持ちの整理してさっさと踏ん切りつけよう、と、このぐちゃぐちゃした気持ちを担降りブログとして昇華しようと思った。

ここにもnoteにも“担当”についての葛藤がたくさんある。けれどどれも完成していない。中途半端に書きなぐって、話がまとまらない。広がらない。書きかけばかりだ。こんなこと考えたくないけど、宮舘くんの未来をみたときに、しんどい場面にぶつかったときの逃げ場に、保険に神山くんを選ぼうとしているところが、担降りブログを書けなかった理由の一つだ。本当最低だとおもうけど!今彼と別れてできた心の傷を元彼で埋めようとする感じ。最低(2回目)。確実な保証が欲しかったわたしは、結局、神山くんのことを考えながらしたためたおてがみたちを引き出しの中か焼却炉の中に捨てた。

 

神山くんからは降りれない。ずっとそう思っていた。いまも思っている。応援するのをやめようとした時でも、歌って踊っている神山くんをテレビ越しに見るとやっぱり好きだなあと再認識させてくれたから。まさに何万回だって君が好き、だ。でもその好きは保険込みだし、コピー用紙くらい薄っぺらくてティッシュペーパーくらい脆くてなんとも言えないのだ。

 

わたしは“神山担”なのか?と悩み始め、死にかけの神山担として生き始めて数ヶ月。円盤発売の時期が来た。WESTがリリースするものはとりあえず買う、が習慣づいていたので、例に漏れず今回も円盤を買った。それがなうぇすと。

神山くんと距離ができ始めたころに始まったツアー。申し込みもしておらず当然チケットも持ってないわたしは、もういいや探すのも面倒だ、と、なうから完全に目を背けていたので、セトリがなんだとか、構成だとか衣装だとかレポがなんだとか、まっったく知らない状態だった。私的初日はテレビの前で迎えた。

24コンを観た時、マイナスな感情が頭を支配したまんま再生したんだけど、そのときよりかは気持ちが幾分軽かった。なので、どちらかというとわくわくしながら再生した。

そこにいたのは“なう”の神山くんだった。1月7日だっけか。日にち的にはもう数ヶ月も前のことだから、わず、かもしれないけど、そこにはなうが瞬間冷凍されていた。解凍して、新鮮な“なう”に触れたら、今まで自発的に触れてこなかった神山くんへの愛しさがぶわっと一気に押し寄せてきた。パリマニで神山くんセンターから始まったこともトランペットと心から向き合いながら共に歩んでいたことも粉もん前にみんなににこにこされながら胸きゅんワードをぶちかましていたことも智子が銀河一かわいかったこともI got the FLOWでこれ以上になくギラギラしていたことも髪色がゴロゴロ変わってたこともわたしはなーーーーーんにも知らなかった。知らなかった彼を知った。摂取過多で頭と心がぱんぱんになった。降参だ、わたしはやっぱり神山くんが好きなんだと、ここ最近でいちばん、いちばん強く思った。その気持ちの懐かしさと、神山さんの眩しさがじわじわと私を染めあげた。わたしが神山担になった当初の、吐きそうなくらいに好きが溢れるあの気持ちが復活した。

 

なうぇすと(済)の世界に足を踏み入れたわたしはいわゆる『出戻り』だ。わたしは神山くんの存在をゼロにできなかったから、心は意地でも神山担だったので、そんなつもりはないんだけど、世間的にジャニオタ的に見たら出戻りの部類に入るんだろうな。

わたしは宮舘くんに熱を注ぎはじめてからの神山くんのことをほとんど何も知らない。あいあいとやっほっほ、くらいだ、まともに見たのは。それ以外は見ていたのに、見ていなかった。見れる時に見ていなかった。その後悔と、知識不足と、愛の欠如と、劣等感。何してたんだ自分、もっと器用に掛け持ちができなかったのか、って。なんでかわからないけど、神山くんと、まわりのおたくのみんなと、WESTに申し訳ない気持ちを抱いてる。

こんな状態でまわりのWESTのおたくと肩を並べることは出来ない。堂々とWESTのファンだ!って言えないなあ、とおもった。好きなら好きだー!ってけろっと割り切れる性格だったらよかったのに。もっと軽いオタクスタンスだったらよかったのになあ。言っておくけど宮舘くんは悪くないよ。そこは勘違いなされぬよう。

 

 

ずっとずっと悩んでいる。中途半端な自分は、神山くんのことを応援していていいのだろうか。うちわを掲げ、神山くんを照らす緑の光の一部になっていいんだろうか。神山くんのことをまっすぐ見つめられなかった私なんかがこれから神山くんのことを好きだと言っていいのだろうか。

 許されるのなら、重たくてめんどくさいオタクだけど、これからもこっそり好きでいさせてほしい。こんなんだからこれからどうなるかなんていう未来は未知数だけど、未知が既知になるその日までは、神山くんのことが好きだ、わたしは神山くんの担当だ、と小さな声でもいいから言わせてほしい…と思った。